マーケティングコンテンツ

代表者のマーケティングに関係する文章、写真等を、随時出来上がった時点で掲載していきます。

ワン・トゥ・ワン・マーケティングへの一視点

2004年2月10日

1. 百貨店研究会への参加
 1995年から約3年間、私は、所属する社団法人中小企業診断協会東京支部中央支会に置かれた百貨店研究会に参加していた。商業・流通分野を専門にする私は、小売業の一つの業態である百貨店について学習し、情報交換することによって、その後の私の仕事に活かそうと思ったのである。この研究会は、私より年長の、ある協会員の呼び掛けで作られ、当初は15名くらいの参加人数だった。
 最初の会合における自己紹介によって分かったことなのだが、この研究会の多くのメンバーが現に百貨店に勤務していたり、あるいは定年まで百貨店に勤務し退職したりしているということであった。当時の私は、時計・ジュエリーの業界新聞の発行を主な仕事としており、流通問題を記事にするというのが中心であった。そういう意味で、私は研究会の中では異色の存在であった。そのため、百貨店の実務に精通しているメンバーから得られた知識は数多く、今でも感謝しているほどである。
 この百貨店研究会の活動は、月1回程度開かれるゼミ形式の例会が中心であった。会員の中から発表者を決め、あらかじめ決められたテーマにそって発表し、その後に全員で意見交換が行われた。最初は呼びかけ人の会長からの発表が多かったが、徐々に会員それぞれに広がっていった。
 ある月の定例会で、30歳代の私よりも若い百貨店勤務の会員が発表したときのことである。確かそのときのテーマは、「百貨店の情報化戦略」であったと思う。そのテーマでの発表の中で、百貨店が発行するハウスカード(クレジットカード)について語られていた。そしてその発表者は、顧客がハウスカードで買い物をすれば、現金で買い物をするよりも安く、割り引いて買い物ができるという主旨を語っていた。発表者にとっては、当たり前のこととして語られていたし、聞いていた多くのメンバーも、同様に当然のことと聞き流していた。しかし、私にとっては、実はそれは意外なことであり、当然のことではないように直感したのである。
 それまでの私は、現金で買い物をすることが安く買うことのできる方法だと教えられてきた。例えば、数量割引というのは、多数の商品をまとめ買いすれば何がしかの割引が得られるということである。それと同じように現金で買い物をすれば、一般的には現金割引という割引を得られるのである。それがあくまでも商売の基本であると私自身も考えてきた。そんな私にとって、ハウスカードで後払いや分割払いで買い物をしたほうが現金よりも割引かれて安くなる、という価格制度は、何とも納得しがたいものであった。

2.ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論と実際性
 実は私がワン・トゥ・ワン・マーケティング理論を学んだのは、そのことがあってから3年後くらいのことである。この理論は、1995年、アメリカのドン・ペパーズ(Don Peppers)とマーサ・ロジャーズ(Martha Rogers)が、著書『顧客リレーションシップ戦略 ワン・トゥ・ワン・マーケティング』の中で体系付けたものである。リレーションシップ(関係)・マーケティングの流れの中に位置づけられ、顧客との関係を良好なものにしようという考え方が底流にあると見られる。
 そもそもマーケティングなどの実際的な分野における理論は、理論がまずあって、それが現実の社会活動に応用されていくと考えるべきではない。むしろ、現実の中で進行している現象をいち早くとらえ、それを理論化したと考えるべきである。ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論もまた、時代状況の中で、多くのメーカーや流通業者が、顧客との関係作りを志向していたという萌芽をとらえ、理論化されたものである。1990年代という時代性を強く反映しているのがこのワン・トゥ・ワン・マーケティング理論なのである。
 そのためにこの理論は、アメリカ、ヨーロッパ各国、そして日本などの先進諸国のメーカーや流通業者に大きな影響を与えた。一旦理論化されることによって、その理論があらゆる企業のマーケティング戦略に反映され、応用されていったのである。90年代以降のマーケティング戦略、顧客戦略を強く示唆したのがワン・トゥ・ワン・マーケティング理論であった。

3.ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論の概要
 それではワン・トゥ・ワン・マーケティング理論とはどのようなものなのであろうか。前述のテキストを読む限り、理論自体はそう難解なものではない。
 繰り返しになるが、ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論は、顧客との関係を良好に保ちたいという基本的な考え方、すなわちリレーションシップ・マーケティングの一つとして理解することができる。そしてこれまでの伝統的なマーケティング理論、すなわちマス・マーケティングと呼ばれている理論では、マーケティング目標の指標に、「売上高」、「利益」、「市場占有率(マーケット・シェア)」などがあげられてきた。そのマーケティング目標を、「顧客シェア」におき、その計測のために「生涯価値(LTV)」という概念を提出しているのがワン・トゥ・ワン・マーケティング理論なのである。
 この場合の「生涯価値(LTV)」とは、一人の顧客、例えばAさんならばAさんが一生涯の中でどれだけの購買をするかという、その価値全体のことである。それは金額を単位に表示される。具体的な事例で述べれば、例えば一足1万円の靴を半年に1回購買する顧客がいたとして、その顧客(Aさん)が50年間生きたとすれば、約100足の靴を買うことになる。靴という商品に限って言えば、Aさんは100万円の「生涯価値(LTV)」をもつことになる。別の商品で言えば、Aさんが生涯に100万円の自動車を5台買うとすれば、500万円が自動車におけるAさんの「生涯価値(LTV)」となるのである。
 そしてワン・トゥ・ワン・マーケティング理論では、その「生涯価値(LTV)」のうちの自店(例えばB靴店)で購買してくれる占有率(シェア)を、B靴店におけるAさんの「顧客シェア」と呼ぶのである。自動車の場合だったら、自社(例えばC自動車メーカー)の自動車を購買してくれるその占有率(シェア)が「顧客シェア」なのである。  
 実例にそってより具体的に言えば、100万円の靴の「生涯価値(LTV)」を持つAさんが、そのうち60万円(つまり60足ということだが)をB靴店で購買するとすれば、B靴店にとってのAさんの「顧客シェア」は60%ということになる。同様に、自動車において500万円の「生涯価値(LTV)」を持つAさんが、400万円(つまり4台ということだが)をC自動車メーカーの自動車を購買したとすれば、C自動車メーカーにおけるAさんの「顧客シェア」は80%ということになる。
 百貨店という流通業の一業態(営業形態)で説明すれば、百貨店におかれている様々な商品において、1000万円の「生涯価値(LTV)」をAさんという顧客がもっているとして、D百貨店でそのうちの200万円を購買するとすれば、D百貨店にとってのAさんの「顧客シェア」は20%ということになる。そしてその「顧客シェア」を高めることがそれぞれの店、それぞれのメーカー、それぞれの流通業者におけるマーケティング目標になるというわけである。
 こうしたワン・トゥ・ワン・マーケティング理論に基づくマーケティング戦略は、伝統的なマーケティング戦略(マス・マーケティングと呼ばれている)とは違う視点をもっている。伝統的なマーケティング戦略では、市場全体という広い視野から、その市場占有率(マーケット・シェア)を増加させる戦略、例えば差別化戦略と呼ばれる戦略が採用された。その後に登場した市場細分化戦略においても、市場を細分化してきめ細かな戦略が採用されてはいても、市場占有率を増加させることを目標にしていたという事情に変わりはない。ところがワン・トゥ・ワン・マーケティング理論では、一人ひとりの顧客(例えばAさん)の「生涯価値(LTV)」とそのうちの「顧客シェア」という概念を提出することによって、「顧客シェア」を増加させることこそが目標となり、一人ひとりの顧客に照準を合わせたマーケティング戦略が採用されることになったのである。
 旧来のマーケティングが市場を同質な消費者の集まりととらえ、働きかけていたのに対して、ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論では、市場を一人ひとりの異質な(個性のある)顧客の集まりととらえ、一人ひとりの顧客の「顔」を見ながら、個別に働きかけようとするのである。そこでは、顧客一人ひとりに対して、より直接的に商品やサービスが手渡されなくては(販売されなくては)意味がないという基本的な考え方がされている。そして、個別の顧客に近づき、より直接的に販売を実現すること、すなわち「顧客シェア」の増加を図ることなくしては、売上げや利益の維持・成長ができないという考え方が底流にあると考えられる。

4.ワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略@
 顧客との良好な関係を作ろうとするのがリレーションシップ・マーケティングであり、その一つがワン・トゥ・ワン・マーケティング理論であると述べた。しかしどのようなマーケティング戦略によって、一人ひとりの顧客の特性を探索し、その顧客との良好な関係を作ろうとするのだろうか。すなわちワン・トゥ・ワン・マーケティング理論におけるマーケティング戦略とはどのようなものであろうか。
 私が体験した具体例で説明することにする。私は最近、アマゾンというウェブ上の書店で書籍を購入することが多くなった。求める書籍を検索によってすぐに見つけることができるという、店舗販売にはないメリットが感じられ、便利だからである。数年前、最初に私は性別、年齢、住所などの属性を登録して、購買を開始した。そしてある書籍を購入したのだが、その後にメールで送られて来たお勧め商品は、驚くことにジャズのCDのシリーズものだったのである。私は当時、ジャズを聞くのを楽しみにしており、そのジャズの広告にほとんど乗せられるところであった。結局、私はそのCDを買わなかったのであるが、そのとき感じたのは、私のジャズを聴くという趣味が、アマゾンという会社に分かってしまっている、つまり私の「顔」がかなり正確に見えている、という事実であった。
 つまり、アマゾンのデータでは、私のような人間、つまり50代の男性で、ビジネスの分野の書籍を買う人は、同時にジャズにも強い関心を持っているということが、かなりの確率で分かっていたのである。これはデータの集積と加工、すなわちデータマイニングの成果であり、情報化の進展が可能にしたものである。このように、一人ひとりの顧客の「顔」を見つけるために、コンピュータによるデータマイニングが大いに行われているのであり、これがワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略だと言うことができる。
 顧客が様々な情報を企業にもたらす事例を、もう一つの私の経験から述べることにする。私は通信販売で犬用のペット食品を購買することにしている。いつも電話で申し込みをするのだが、何回か購入するうちに、自宅にペット食品がなくなる頃に、カタログが送付されることに気がついた。そして再度その会社からペット食品を購入することが多くなったのである。つまりそのペット食品の会社にあるデータでは、私がいつ、どのような量のペット食品を購入するかが分かっていたことになる。一人ひとりの顧客の購買データによって、次にその顧客がペット食品を必要になる時期が、ある程度、特定されていたのである。顧客が再び必要になる時期を見計らってダイレクトメールを送れば、その顧客が再購買する確率は非常に高まるのである。こうしたジャスト・イン・タイム・マーケティングができるのも、購買データという、顧客から意図せずに送られてくる情報をデータマイニングすることによって可能になっていると見られるのである。
 これらのケースの場合、消費者(市場)をニーズとして漠然ととらえるのではなく、「顔」の見える顧客(例えばAさんであり、例えば私である)として、一人ひとりの顧客のニーズをより具体的にとらえようとするところに特徴がある。対象を消費者として大まかにとらえる市場主導型のマーケティングではなく、顧客主導型のマーケティング理論なのである。そこに、現代に生きる消費者がより個性化・多様化し、一様なマス・マーケティング手法を採用していたのでは成果が上がらないという、一つの限界が見えてきたという時代背景があった。

5.ワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略A
 もう一つのワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略を解説することにしたい。「顧客シェア」を高めることを目標として、その基準として「生涯価値(LTD)」を顧客ごとに算出するということは、一人ひとりの顧客は、長期的な視野で捉えられており、かつリピーターとして捉えられているということである。そうでなければ、そもそも「顧客シェア」とか「生涯価値(LTD)」の算出とかは意味がないものになってしまう。ワン・トゥ・ワン・マーケティングでは、一人ひとりの顧客との一定程度の長期的な取引を前提にしており、長期的な関係作りを促進することを目指すのである。靴の例で言えば、靴は一人の顧客(Aさん)の生涯において、何回も購買されるものである。そう捉えたうえで、その購買頻度を増やし、再購買を促していこうとするのがワン・トゥ・ワン・マーケティングのマーケティング戦略なのである。一人ひとりの顧客をリピーターとして捉えるのである。
 百貨店の事例によってその戦略を説明することにしよう。例えば私が行くE百貨店では次のような割引制度が設けられている。顧客がE百貨店のハウスカード(クレジットカード)を持っていることを前提として、年間の購買額が100万円を超えると、次の一年間については、10%の割引率で購買できる。20万円から100万円の場合は7%の割引率となる。20万円以下の人は5%引きという割引率である。こうしたマーケティング戦略としての優遇策は、日本のハウスカードを発行しているどの百貨店でも導入されている。それぞれに多少の違いはあるが、優遇策としての考え方は同質なものである。より多くの買い物をする顧客を優遇していこうというマーケティング戦略が採用されている。
 こうした新しいマーケティング戦略は、ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論にその根拠をもっていると言って差し支えない。そして、その特徴を考えると、まず顧客全体を、再優良顧客(E百貨店の場合なら年間100万円以上を購買する顧客)、優良顧客(年間20万円から100万円未満まで購買する顧客)、一般顧客(20万円未満しか購買しない顧客)に区分することである。すなわち、固定客として何回もリピートしてもらえる顧客を、特別に優遇するマーケティング戦略となっている。
 こうした戦略については、次章で私なりに批判してみたいが、この百貨店と同様な戦略は別の業態でも行われている。地域の商店街などで取り組まれているポイントカード制度も、リピーターとしての長期の顧客を優遇するという点で同じような性格をもっている。また航空会社が導入している「マイルを貯めて外国に行こう」といった優遇策も同じである。ここでは顧客を長期的なリピーターとして見ており、また長期的な固定客になることを奨励する策となっているのである。こうしたマーケティング戦略は以前から少なからずあったものだが、優良顧客をさらに優遇するという考え方は、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの考え方と一致するのである。
 経験則として、ある企業の利益の80%は、20%の数の顧客によってもたらされると言われる。いわゆる8対2の原則である。そういう原則があるとすれば、その20%の優良顧客を選別して、特別により高度な(高額な)サービスを提供し、顧客であることを維持することのほうが、企業の売上げや利益にとって有意義だと考えるのである。
 これを別の視点から言えば、新規顧客を開拓するよりも、既存の顧客を維持し、顧客シェアを高めることのほうが、コストは安く済むと考えるのである。
よく見られることだが、ウェブ上のプロバイダーなどの会員募集で、「ご紹介キャンペーン」が行われ、友達を会員として紹介した場合にかなりの優遇を得られるという制度がある。これも新規会員を増加させることが、リピーターの顧客を維持することよりもコストが余計にかかるので、そのためのコストだと考えているのである。これもある意味ではワン・トゥ・ワン・マーケティングによって裏打ちされたマーケティング戦略であると見られる。

6.ワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略B
 もう一つのワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略は、「コラボレーション(協働)」という考え方で提示されている。
 例えば、多くの流通業者やメーカーでは現在、「お客様相談窓口」を置いて顧客の苦情や意見に対応するようになっている。実際に顧客が来社する場合もあるだろうし、「コールセンター」という電話における応対がされるケースもある。さらにはインターネットの普及に伴い、ホームページ上で応対しているケースも多い。そこでは顧客と企業との間で、双方向的な応対がされている。
 顧客からの苦情は、製品やサービスにおけるデメリットな意見であるが、それを前向きにとらえ、適切な対応をすることによって、顧客はさらに優良顧客になるケースが多い。また単なる意見であっても、それを次の製品づくりに活かし、またマーケティング活動に活かすことができるという役割をもっている。企業にとって、こうした顧客の「声」は非常に重要な資産となるのである。
 また、顧客同士のつながりを強化して、顧客との良好な関係づくりを目指すのも、ワン・トゥ・ワン・マーケティングにおいて説明される。例えば、顧客を会員とするクラブを作ることや、自社のホームページ上に掲示板をつくって顧客同士が意見を言い合う場を設けるのも、有効な手法であるとされている。
 こうした顧客と企業との双方向的な情報のやり取りを、ワン・トゥ・ワン・マーケティングでは「コラボレーション(協働)」という概念で説明している。企業と顧客の間の協働によって、お互いにメリットのある関係を築こうとするものである。企業は顧客の情報を集め、顧客もそれに参加し、十分なコミュニケーションを図っていこうとするのである。プライバシーの保護をどのように確保していくかなど、「コラボレーション(協働)」の問題点もあるが、顧客との良好な関係をつくるうえで、必要不可欠な概念となっている。
 
7.ワン・トゥ・ワン・マーケティング批判@
 こうしたワン・トゥ・ワン・マーケティングの戦略について、時代の要請もあり、当然のように受け取る人もいるかもしれない。しかし私見では、この当然と思える戦略の中にいくつかの疑問点を感じるのである。
 冒頭の百貨店研究会における私の疑問から話を進めたい。ハウスカード(クレジットカード)で買い物をしたほうが、現金で買うよりも実質的に安く購入することができるという優遇策がワン・トゥ・ワン・マーケティングをその理念の基本においていることはすでに述べた。
 その制度を採用する理由として、@一人ひとりの顧客のデータが得られる、A顧客の囲い込み(固定客化)に役立つ、Bリピーターを増やすことにつながる、といったことがあげられると思う。そういうメリットがあるからこそ、百貨店という企業は、ハウスカードでの買い物に優遇策を付加しているのである。しかしよく考えてみると、これらのメリットは百貨店という販売する側のメリットであり、必ずしも消費者(顧客)側から見たメリットばかりとは言えないのである。
 冒頭で私が感じた疑問は、それが商売の基本的理念に抵触する問題であるだけに、すぐに氷解することはなかった。すなわち、ハウスカードで買い物を推奨するこの優遇策は、E百貨店ならばE百貨店に顧客を固定化する方向に進む。それがこの策の当初の目的であるわけだから、当然と言えば当然である。しかし逆に言えばその結果、E百貨店の顧客はそれ以外の百貨店では購入しないという、一つの負の消費者行動を促すことになる。E百貨店のハウスカードを持っている顧客は、それ以外の百貨店で買い物をすれば高くつくわけだから、他の百貨店には行かないという現象を生む。その結果、百貨店という業態全体としては、他の業態との競争において、シェアを下げる結果につながるような気がして仕方がない。百貨店業界の最近の地盤沈下とも無関係ではないと私には思えるほどである。
 以前の現金商売の場合は、E百貨店のある程度の固定客でも、それ以外の百貨店に出かけ、商品を購入することも気軽にできた。そういう一種の平等主義の中で、百貨店という業態が消費者(顧客)からの信頼を得てきたのである。しかし、それがE百貨店だけの固定客になることによって、つまりE百貨店への特化によって、他の百貨店での買い物は限りなく少なくなる。その結果、百貨店という業態のシェアは、例えばディスカウンターや専門店との業態間競争において、不利な状況に置かれるのである。
 私個人の買い物行動を考えても、ある百貨店のハウスカードを持つことによって、いくつかの他の百貨店へ出かけることが極端に少なくなっている。その結果、百貨店での買い物シェアは減少しているのである。それは、私個人だけの傾向であろうか。
 
8.ワン・トゥ・ワン・マーケティング批判A
  もう少し百貨店について述べてみたい。ワン・トゥ・ワン・マーケティングでは、一人の顧客をリピーターとして見ていると述べたが、その結果、最優良顧客(E百貨店の場合、割引率10%)、優良顧客(割引率7%)、一般顧客(割引率5%)というように、ハウスカードでの買い物客を購入額に応じて区別している。そして現金での買い物は定価での購入となり、ハウスカードをもっている顧客よりも不利になるのである。今、私は「区別」という言い方をしたが、「区別」で止まっているうちは良いとしても、それが「差別化」となり、極端に言えば「差別」につながっているのではないかと危惧するのである。
 事実、一人ひとりの顧客を異質なものと捉えるワン・トゥ・ワン・マーケティングでは、一面で顧客の「差別化」を図るということを、極端に言えば「差別」するということを、かなり肯定的にとらえている。そのマーケティング戦略として、より多くの買い物をする顧客をさらに優遇しろという理論であるから、それは当然の帰結である。
 しかし、私は、流通業の中でも特に小売業においては、顧客を「差別化」すること、「差別」することは、マーケティング戦略として避けるべきだと考えているのである。もし顧客の「差別化」とか、「差別」とかを進めると、商売の衰退を招くと考えているのである。
 卑近な例で申し訳ないが、私は近所の寿司屋でかなりの頻度で食事をする習慣をもっている。また、カラオケパブで酒を飲みながらカラオケを楽しむのを趣味にしている。そうした飲食業において、私が顧客として困るのは、他の顧客と平等に扱われないときである。私は頻繁に通っているほうなので、他の顧客よりも優遇されることもあるが、それも困るのである。顧客というのはそこで支払う金額に応じて、それにふさわしい、均一な商品やサービスの提供を望んでいるのである。それは飲食業でなくても、例えば規模の大きな百貨店であっても同様だと思う。
 どのような業態においても、顧客によって商品の価格や提供されるサービスが違っているというのは顧客が最も嫌うことである。特に百貨店の場合、かつての隆盛が保証されていたのは、定価販売という、同じ商品ならば誰でも同じ価格で購入できるという価格政策のためであった。だからこそ百貨店という業態は、消費者(顧客)に信頼されてきたのである。その百貨店の伝統的な経営理念の根幹がワン・トゥ・ワン・マーケティングの採用によって崩れてしまっているのである。
 またかつての百貨店では、100円の商品を買う顧客も、10万円の商品を買う顧客も、平等に、かつフェアに扱われていた。それが良き伝統であった。現在、百貨店の商品も売れ筋価格帯を落としており、デフレ時代の今思えば、昔は高い商品が多かったと思う。しかしそういう高い商品でも、価格的にも、接客においても、平等に、かつフェアに扱われていると顧客が感じていたからこそ、百貨店の隆盛があったのである。
 「平等」とか「フェア」とかいう理念は、商品の価格が高いか安いか、ということ以上に大事なものだと思う。例えば、ヨドバシカメラなどのカメラディスカウンター、ドンキホーテという日用雑貨のディスカウンター、さらには専門店としてのユニクロなどが好調を伝えられている。これらの小売業は、顧客を「平等」に扱う、そして「フェア」な商売をするという理念を強くもっている。詳細な説明ははぶくが、例えばヨドバシカメラのポイント制というのは、確かにカードを介在させてはいるが、顧客による「差別化」や「差別」からは見事に逃れていると思う。それらの業態の小売業に百貨店が押されている実情に、ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論の弊害を感じるのである。

9.ワン・トゥ・ワン・マーケティングの意義と日本的な修正の必要性
 もちろん、ワン・トゥ・ワン・マーケティングがマス・マーケティングの修正理論として登場したのには、それなりの意義があった。例えば「コラボレーション(協働)」という概念についても、より顧客の意見を取り入れ、一人ひとりの顧客のニーズに即した商品やサービスを提供するという意味で、この理論が有意義であることを示している。顧客との関係において、双方向的なコミュニケーションを達成しようとする考え方は、現状に即したものであり、それなりの意義がある。ただ、それが苦情や意見を言う顧客だけを優遇するのではなく、ここでも顧客に対して、平等に、フェアに対応することが考えられるべきである。モノ言わぬ一般の顧客の「声」も十分に分かっていなければならない。
 1991年のバブル崩壊以後、百貨店という業態は大きな低迷期を迎えている。2004年の現在でもその低迷から脱しているとは言えない。もちろんそこには百貨店という業態が抱えている様々な要因が重なっているし、個人消費の低迷という消費者側の問題も背後にあった。しかし私は、その低迷の原因として、ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論を根拠にした、前述のマーケティング戦略をも加えたいと思う。ディスカウンターなどとの業態間競争が激しくなることによって、百貨店がそういうマーケティング戦略を迫られたという側面があったとしても、それが逆に自らの窮地を招いているような気がしてならない。
 特に、日本人は90%が中流意識をもっていると言われている。バブル崩壊以後に格差が広がっているとも言われるが、それでも均質な社会であるという基本が大きく変化しているとは思えない。そういう日本社会において、もし顧客を「差別化」、「差別」しているとすれば、その戦略の危険性は非常に大きなものがある。日本社会では特に、「平等」とか「フェア」という理念が重要なのである。
 ワン・トゥ・ワン・マーケティングはアメリカで理論化されたものであり、そのアメリカ社会は生活水準の格差が大きく、日本の均質な社会とは社会構造が違うと言われる。そのアメリカ社会を背景に描かれているワン・トゥ・ワン・マーケティング理論を、日本社会に単純に流用するのは非常に危険である。日本社会に導入するに当たっては、日本社会の特性を十分に考慮した修正が加えられなくてはいけないと思うのである。
 ワン・トゥ・ワン・マーケティング理論を無反省に導入してしまうことは日本の流通業にとって、甚だしく危険である。特に日本独特の発展を遂げてきた百貨店という業態において、その危険性は大きいと言わなくてはいけないのではないだろうか。

 

カシオ計算機と『Gショック』の事例研究

2008年9月10日
砂田好正

1.新製品『Gショック』の発売
東証一部上場企業として知られるカシオ計算機の時計事業本部がデジタルウオッチ『Gショック』を日本市場で発売したのは1983年のことである。
このウオッチ新製品は、高精度を実現すると同時に、100分の1秒単位のストップウオッチ機能、防水機能などの多機能を実現していた。それに加え最大のセールスポイントになったのが、「耐衝撃性」であった。
『Gショック』発売以前、カシオ社内のウオッチ企画開発部に、「ライターのジッポウのような頑丈なウオッチを作りたい」という企画があった。そしてそのための、開発チーム「プロジェクト・タフ」が組まれていた。そこではこのコンセプトに合った試作モデルが次々に作られていった。そして試作モデルができ上がるたびに、ビルの3階からそれを落下させ、強度を試験していった。その結果、ついに発売に耐えられるモデルが完成し、それが『Gショック』第一号となるのである。
そのモデルは、ボタンやガラス面以外はすべてウレタン樹脂でカバーされ、内部に衝撃を伝わりにくくする工夫がされていた。これは全方向カバリング構造と呼ばれる技術であった。内部のムーブメント(機械部分)が、ちょうど宙に浮くような構造になっており、そのために衝撃に強いという機能を実現していたのである。
何回もの試行錯誤によって完成した『Gショック』第一号モデルは、耐衝撃性を備えたウオッチとして、日本市場で展開されることになった。当時の新製品記者発表会の席上、担当役員が壁に強く投げつけ、集まっていた記者たちを驚かせたという逸話が残っている。それでも『Gショック』は正常に作動し、それだけの頑丈さ、すなわち「耐衝撃性」が記者たちの前で証明されたのである。
しかしカシオの技術力を駆使した『Gショック』第一号モデルは、当時の日本市場では、ほとんど受け入れられなかった。その頃の日本のウオッチ市場は、ファッション性に優れた多くのブランド製品が主流となっており、それらは薄型であることをセールスポイントにしていた。「耐衝撃性」を前面に打ち出した『Gショック』は、その機能を実現するために厚いのが特徴であり、デザイン的にもごつい感じであった。そのため、他のカシオウオッチは、一定の市場シェアを維持していたが、『Gショック』の売れ行きは、低調であった。発売当初は、カシオウオッチの全製品ラインの中では目立たない存在だったのである。そうした日本市場での低調ぶりを見てとったほとんどの業界関係者は、『Gショック』が、将来的にヒット商品になるだろうとは考えもしなかったのである。

2.コンシューマ(消費者)商品メーカーへの脱皮
カシオが、樫尾忠雄氏を筆頭にした4人兄弟によって設立されたのは、1957年のことである。それ以来、リレー計算機の技術開発に取り組んでいたが、1965年に電子式計算機(電卓)を初めて市場に投入して、電卓の専門メーカーとなった。その電卓は、当初は何十万円もする高価な機械であった。
しかしエレクトロニクス技術が進展するという技術環境下で、カシオ独自の技術力を活かした『カシオミニ』(当初の価格は12,800円)が1972年に発売された。この『カシオミニ』は、それまでの電卓の需要者であった法人でなく、個人向けの電卓としてヒット商品になった。次々に新製品が加えられ、発売してから約1年後には100万台を突破するという猛烈な売れ行きであった。当時の「答え一発、カシオミニ」というテレビCMを今でも憶えている人は多い。
しかし、電卓投入以後のカシオ計算機がすべて順調だったわけではない。計算機が電子化され、エレクトロニクス製品になったため、先陣を切ったシャープをはじめ、キヤノン、オムロン(当時の立石電機)、三洋電機、などのメーカーがこぞってこの分野に参入した。そのため競争は激烈を極め、今では当時の様子が「電卓戦争」と称されている。技術的には多機能化、薄型化、小型化が進行し、また、その高精度の電卓を量産することによる価格競争は激烈を極めた。5年を超す「電卓戦争」の結果、カシオとシャープが市場シェアを分け合うようになり、その他は市場からほぼ撤退するという経緯をたどった。
 電卓で『カシオミニ』を発売したことは、カシオが事務機メーカーからコンシューマ商品(消費者商品)メーカーに脱皮したことを示していた。以前の事務機メーカーとしての商品は法人向けの供給であったのに対して、『カシオミニ』は主に個人向けの商品になったのである。それはカシオのその後の進路を決定する経営的な意思決定であった。カシオはそれとき、コンシューマ商品のメーカーになることを決意したのである。そしてそれが、カシオが商品多角化の一つとしてウオッチ分野へ参入する大きな理由となったのである。

3.カシオのウオッチ分野への参入
カシオがウオッチ分野に参入したのは、電卓メーカーとしての地位をすでに固めつつあった1974年のことである。
当時の時計業界は、服部時計店(現セイコー)を頂点として、シチズンがそれに続き、さらにはオリエントやリコー時計が既存のメーカーとして、比較的波乱の少ない業界構造を作り上げていた。しかし一方、当時の時計業界は、時計のクオーツ(水晶)化という大きな技術革新の時代を迎えていた。すなわち、それまでの機械式ぜんまい時計の精度を超えるクオーツウオッチが市場を席巻し始めていたのである。
新しく登場したクオーツウオッチは、一方でICを使ったエレクトロニクス製品としての性格をもっていた。そして、そのことはカシオが電卓で獲得してきたエレクトロニクス技術を、ウオッチ分野でも存分に発揮できることを示していた。すなわち、ウオッチがエレクトロニクス製品になったことは、エレクトロニクス技術をすでにもっていたカシオにとって商品多角化のための最適な商品であった。
またこれまでのウオッチは、アナログ式(針式)がすべてであったが、デジタル式のウオッチの商品化が可能になっていたのも大きな理由になった。デジタル式という新機軸のウオッチによって独自性を発揮できるからである。そうした理由もあって、「デジタルはカシオ」という掛け声の下、カシオはデジタルウオッチによって時計分野に参入するのである。参入以来の数年間は『カシオトロン』というブランド名で展開された。こうしたカシオの時計分野への参入は、それまで安定的に推移していた時計業界に対して、大きな波紋を広げることになるのである。

4.参入以後の価格戦略
カシオがウオッチ分野に参入した以後の時計業界は、ちょうど電卓がそうであったように、既存のセイコー、シチズンなどを巻き込んだ激烈な競争状態に入っていった。技術的にも新しい試みがされていく中で、最も顕著に表面化したのが価格(マーケティングの4要素・4Pで言えばプライス)における競争であった。
カシオは、「電卓戦争」で獲得した量産技術を駆使して、デジタルウオッチの新製品を次々に開発し、この分野でもプライスリーダーとなっていった。参入当初のデジタルウオッチの価格は、10万円近いものであったが、新製品が発売されるごとに低価格化し、2〜3年の間に1万円前後の価格にまで下がっていった。
他の時計メーカーもデジタルウオッチを発売するとともに、低価格化競争を受けて立った。業界トップのセイコーは、低価格ブランド『アルバ』を発売し、また同じくシチズンは低価格ブランド『ベガ』を発売して対抗した。セイコーやシチズンは、一方で高い販売シェアをもっていた高価格ブランドと、新しい低価格ブランドを分離することによって、日本市場全体としての市場シェアを維持・成長させるブランド戦略を採用したのである。こうした過酷な価格競争は、カシオの低価格戦略の影響だと見ることができる。それは「ウオッチ戦争」という名にふさわしいものであった。
また、価格政策としてカシオが選んだのは、例えば「メーカー希望小売価格19,800円」といった端数価格と呼ばれるものであった。その点でも既存の時計メーカーとは違う、カシオ独自の方法が採られたのである。それによって、新製品の安さを強調し、庶民性をアピールして、消費者に受け入れやすくする価格政策が採用されたのである。

5.参入以後の流通戦略
しかしカシオのデジタルウオッチによる日本市場参入には、一つの大きな障害があった。それは流通ルート(4Pで言えばプレイス)の確保という問題であった。当時の日本国内では、小売店としての時計店が大きな販売シェアを維持していた。しかしそれらの時計店は、新規参入者であるカシオには、少なくない抵抗感をもっていた。そして、セイコーやシチズンなどの既存メーカーの製品だけを扱うことに固執していた。時計店はカシオのウオッチを扱おうとせず、カシオにとっては売る場所がないという事態に直面していた。
そこでカシオでは、ます最初の小売業態として、当時アウトサイダーとして台頭していたヨドバシカメラ、さくらやなどのカメラディスカウンターを選択したのである。当時のカメラディスカウンターでは、メーカー希望小売価格から3割引という、時計業界としては過激な時計の割引販売がされ始めていた。そこにはセイコーやシチズンの製品も徐々に置かれるようになっていたのである。カシオは、そのカメラディスカウンターで販売することを、最初の流通の突破口にしようとしたのである。それがカシオの参入時における流通戦略であった。
その後の経緯を見れば分かるように、カシオウオッチが加わることによって、カメラディスカウンターでの時計販売は完全に定着していった。時計店での時計販売が低迷する中で、一方のカメラディスカウンターでの販売が拡大していき、今では大きな小売シェアを確保するまでになっている。その契機になったのが、カシオの流通戦略であり、マーケティング戦略であったのである。そしてその流通戦略があって初めて、カシオの参入が成功裏に進行することになるのである。

6.カシオデジタルウオッチの定着
マス・メディアを活用した大量の広告など、マーケティング戦略の成果もあって、カシオウオッチは徐々に消費者(市場)に認知されるようになった。そして、以前はカシオウオッチを扱うことを嫌っていたインサイダーとしての時計店の中にも、カシオウオッチを扱う店が増えていった。その結果、カシオの日本のウオッチ市場全体における市場シェアも、セイコー、シチズンに次ぐものとなり、10%前後にまで伸長するのである。
その市場シェアの確保を可能にしたのは、製品面でデジタルウオッチ分野に特化し、その分野でトップメーカーになったことが大きく寄与したと言われる。電卓戦争で電卓分野のトップメーカーになったように、デジタルウオッチ分野でもそれを達成したのである。そのことがカシオウオッチのさらなる拡販に大いに寄与したのである。
それ以後カシオは、デジタルウオッチを「腕に着ける情報機器」というコンセプトで新製品を継続的に開発していく。ストップウオッチ機能の充実、世界時計機能の搭載などで多機能化を図り、デジタルウオッチのトップメーカーの地位を確かなものにしていく。それらの新製品は、カシオの技術力が可能にしたものであり、その「技術力」をマーケティング戦略の中で訴求していったのである。
そして1980年代の初頭には、アナログウオッチや目覚まし時計などを発売し、時計の総合メーカーへと脱皮していく。社内的には、時計は電卓とほぼ同じ売上高をもつまでに成長し、カシオの扱い商品の二本柱の一方の柱に大きく育っていったのである。

7.アメリカでの『Gショック』のヒット商品化
 耐衝撃性デジタルウオッチ『Gショック』が発売された1983年頃は、カシオウオッチが日本国内で一定の市場シェアを確保し、市場から評価を得て、定着していた時代である。しかし繰り返しになるが、『Gショック』に限って言えば、発売当初は、その意気込みとは違って、低調な売れ行きに推移していた。その販売に最初に火が着いたのは、実はアメリカ市場であった。
 カシオをはじめ、セイコー、シチズンなどの日本の時計メーカーは、メーカーとして、その生産の8割程度を輸出に依存していた。全ての時計がクオーツ化されることによって、日本の時計メーカーはその高い技術力を誇り、世界各国に大量に輸出するようになっていたのである。機械式ぜんまい時計の時代は、スイスが時計王国を築いてきたが、それを日本メーカーが追い抜き、日本が時計王国に名乗り出た時代であった。カシオも例外ではなく、世界各国への輸出を活発に手がける中で、アメリカ市場へも働きかけを強めていた。
 アメリカ市場での『Gショック』のマーケティング戦略、特に広告戦略はその耐衝撃性というコンセプトを最大限に強調するものであった。テレビCMでは、『Gショック』の完成品を、アイスホッケーのパック代わりにゴールに打たせ、それでも作動することを見せるというインパクトの強いものであった。そうした戦略が功を奏したのか、『Gショック』のアメリカ市場での販売は1983年の発売当初から好調なすべり出しを見せていた。
 ところがこの全米で放映されたテレビCMに対し、あるニュース・ショーが誇大広告ではないかと横ヤリを入れてきたのである。「CMでは壊れもせずに無事だが、実際にはできないはずだ」と主張してきたのである。結局、この番組内で真偽を質す実験が行われることになった。
 当時のカシオのスタッフには壊れないという確信があったが、もし仮に壊れたら、実験に使われる時計だけでなく、『Gショック』の前途はなくなってしまう。『Gショック』だけでなく、カシオウオッチ全体の信頼性を失うことになってしまう。そうした危険性をはらんだ実験であった。そして当日、スタッフが固唾を飲んで見守る中、ホーケー選手によって『Gショック』がゴールに打ち込まれた。そしてその『Gショック』は、CMでそうであったように、壊れることもなく、無事に生還を果たしたのである。
 このニュース・ショーでの実験は、インパクトの強さに比例して、その訴求力は非常に高いものがあった。結果的に最高の宣伝となり、また客観性のあるPRになったのである。話題性も高くなり、それ以後、『Gショック』はアメリカの消費者に受け入れられ、大ヒットにつながっていく。実用性を重んじるアメリカ人気質にぴったりの時計であったことも、そのブームに寄与したものと見られる。
このようにして、80年代の『Gショック』は、日本市場よりもアメリカ市場を軸に展開され、アメリカでヒット商品となっていたのである。

8.日本市場でのヒット商品化
 『Gショック』が日本市場で売れ出したのは、90年代に入ってからのことである。徐々に日本の若者の間に広がっていった。当初の発売から7年以上を経過していた頃である。アメリカ市場でヒット商品としてブームを起こしたことを聞きつけた日本の若者の間で、口コミで広がっていったのである。『Gショック』の機能とデザイン、そして耐衝撃性というコンセプトに共感をもった若者が、競って購買し、それを腕に付けた若者が街を闊歩するようになった。このように、日本市場での『Gショック』は、アメリカ市場でヒット商品になった後に、逆輸入品という形で広がっていった。
 また、日本市場での拡大を見てとったカシオが採用したマーケティング戦略は、口コミ・マーケティングという用語にふさわしいものであった。カーマニアやオートバイに興味のある一部の若者に向けて、その専門雑誌などに広告展開をしていった。耐衝撃性という『Gショック』のコンセプトに合致する雑誌を選んで広告を打ち、プレミアム商品として『Gショック』をプレゼントするなどの販売促進戦略(4Pで言えばプロモーション)が採用されていった。それらのプロモーションによって、『Gショック』を愛好するファンを醸成していったのである。
 こうした経緯の中で、『Gショック』の商品ライン(4Pで言えばプロダクト)は、新製品が次々に発売され、充実したものになっていった。ファッションとしては、ストリート・シーンに合うデザインのものが発売され、若者のストリート・ファッションとしての地位を確保することになる。また、冬季のスキー用に開発された機種や夏のビーチ用に開発された機種など、アウトドア用の『Gショック』が次々に発売されていった。こうした商品ラインの充実が『Gショック』のブームに大いに貢献することになったのである。
 そうして、当初の『Gショック』は全商品ラインの一部を占めるに過ぎなかったものが、カシオの主力商品として、そのブランドを日本市場に浸透させていった。その結果、『Gショック』を愛好する若者が増え、「Gショックファン」と言ったファン層は確実に増えていった。それはヒット商品、流行商品という名にふさわしい、『Gショック』の日本市場での席巻であった。

9.リストロマン活動による組織力の強化
 『Gショック』が日本でブームとなろうとする頃、1994年頃のことである。カシオの時計事業本部では、組織強化のための一つの方策が採用されようとしていた。それは、社内で「リストロマン活動」という名で呼ばれることになる、社員やスタッフを巻き込んだ社内運動であった。
 この社内運動は、その当時『Gショック』を中心にしたカシオウオッチの理念を全事業本部に徹底させることを、第一義的な目的にしていた。その中心になる理念が「リストロマン」であり、腕時計にロマンを感じ、それを社内で共有化することが目的であった。社内の商品開発、デザイン、営業、宣伝、広報などの各部門が、「リストロマン」の掛け声の下に集まり、一体となって時計の販売拡大に取り組もうという主旨であった。
しかし、この「リストロマン活動」は、カシオの社内だけに止まるものではなかった。社外の販売代理店などの流通ルートに対して、またそれを販売する時計店やディスカウンターに対しても、カシオウオッチの理念や戦略を伝達し、共有化していこうという、大きな目標をもっていた。さらには、最終消費者に対して、カシオウオッチにロマンを感じてもらうことが最終的な目的になっていたのである。そうしたカシオウオッチに関係する全ての人を巻き込んでいくというのが、「リストロマン活動」の社内運動の特徴であった。
 そしてまず取り組んだのが、組織改革である。それまでの時計事業本部と各地域の営業部は、本社部門を「リストロマン本部」に、東京と大阪にあった営業所を「リストロマン支店」、その他の時計営業所は「リストロマン営業所」と称するようにした。こうした組織の名称変更と組み換えは、その「リストロマン」という理念を徹底する意味で重要な組織戦略であった。またこれによって、各地域に配置されていた販売代理店(独立系の卸売店も含む)との間に、この理念と戦略を共有することを可能にしたのである。
この「リストロマン活動」は、『Gショック』を筆頭にしたカシオウオッチの、日本市場での市場シェアの拡大を最終的な目標にしていた。ウオッチ市場全体では、いまだにセイコーやシチズンが大きな市場シェアを保持していたため、その奪取が目標にされた。そしてその後の数年間は、『Gショック』の日本市場での流行が大きく貢献して、カシオウオッチ全体の市場シェアは拡大することになるのである。その大きな成果には、「リストロマン活動」という組織戦略が寄与したものと見られる。

10.『Gショック』のマーケティング戦略
 1983年に発売してから約10年が経過しようとしていた頃、1990年代の中盤頃には、『Gショック』は日本の若者の心をつかみ、ファン層の幅を広げていった。それは流行とかブームという言葉にふさわしいものであった。
本来、『Gショック』は大きさから言えば男性用のウオッチであるが、女性が身に付けることも多くなった。その機会をとらえて、『ベイビーG』という女性用の小型ウオッチが発売された。さらには若者だけでなく、年齢的に上の、大人用の『Gショック』も発売された。こうして製品ラインを充実していく中で、『Gショック』は一つのブランドとして完全に確立したのである。日本市場での流行は、アメリカでの流行という追い風があったとは言え、カシオが地道に取り組んできたマーケティング戦略の成果であった。次々に発売された話題性のある新製品、活動性を前面に出した広告やプロモーション、各種キャンペーン、流通戦略、組織戦略などが一体となって機能した結果だと見られる。
 また『Gショック』というブランドが確立したことは、カシオの参入当初のように、低価格化をしなくてもよいという効果を生んだ。『Gショック』は、1万5千円ほどを中心価格帯としているが、これはカシオの大量生産能力から見れば、相当の利益が見込める価格である。かつてのように、過激な価格競争を行う必要がないのである。
またカシオのマーケティング戦略の中で、またリストロマン活動の中で、最も重視されてきたのが、『Gショック』のイメージづくりである。本来的には『Gショック』は、耐衝撃性機能の確保という実用性を重んじた商品であるが、それを若者のストリートファッション・ツールとして訴求したことが拡販に大きく寄与した。そこでは活動的な若者のライフスタイルに合致するファッション商品となっていたのである。アウトドア用として、街に出て遊ぶ若者のライフスタイルにぴったりのツールであることを訴求していった。
いつの時代でも若者は流行の先端を走る年代層であり、若者に受け入れられたことが『Gショック』の成功の鍵であった。そしてマーケティング戦略として、『Gショック』のアイデンティティを頑なに守ったことが、功を奏したものと見られる。

11.スポーツとウオッチ
 『Gショック』は、スキー、ビーチでの水泳、ダイビングなどのスポーツシーンに不可欠なウオッチとして訴求され、また消費者に受け入れられていた。しかし、このスポーツとウオッチとの関連は、『Gショック』だけのことではなく、業界全体の取り組みでもあり、それは現在でも変わっていない。というのも、スポーツ競技においてタイムを計測するという、その計時システムにおいて、時計メーカーは長年にわたり、その精度を競ってきたのである。
 時代を遡ると、1964年に開催された東京オリンピックにおいて、セイコーがクオーツ時計を活用して、その計時システムを担当したことがある。それ以後、4年ごとに行われるオリンピックの計時システムをどのメーカーが担当するか、その獲得競争が繰り広げられているのである。日本の時計メーカー、スイスの時計メーカーが、こぞって獲得に向けて活動を強めるのである。オリンピックなどのスポーツ大会で、計時を担当するメーカー名やブランド名がテレビなどに映し出されれば、その広告効果は絶大なものがあるという事情があるからであり、それは今でも変わっていない。
 また各メーカーは、各種のスポーツ競技に冠大会として協賛することが増えていった。国内ではかつてのセイコーのテニス、シチズンのマラソン、卓球、そしてカシオも自動車レースやマラソンに協賛してPR活動を強めていた。またスイスの各ブランドメーカーも、世界の冒険家に協賛し、また各種スポーツに参加するようになっていった。
 こうしたこともあって、ウオッチは人々のスポーツシーンに欠かせないツールになっている。ダイバーウオッチタイプのものが一つの分野を形成していることからもそのことは理解できる。そして『Gショック』も耐衝撃性と防水性などを備えたタフなウオッチとして、スポーツシーンに必要不可欠なツールとして活用されてきた。
 ウオッチは、実際のスポーツシーンに使われているが、一方でスポーティなイメージが、拡販のためのマーケティング戦略において打ち出されてきた。各メーカーのキャンペーンにおいてもスポーティで活動的なイメージが訴求されてきた。それがウオッチの需要を盛り上げているのである。『Gショック』においても、その広告などでスポーティなイメージづくりが行われてきており、重要なマーケティング戦略上のイメージ要素となっている。
 
12.流行の落ち着きと今後の戦略
 90年代は大きなブームを作り上げてきた『Gショック』であるが、2000年を過ぎてやや下火を迎えている。カシオの時計事業においては、電波を受信して完全に時間を刻むことのできる電波ウオッチを発売するなど、新しい技術的試みが行われている。また、新しい分野であるデジタルカメラにも取り組まれている。しかし国内の時計市場は成熟化し、またスイスのブランドウオッチが劣勢を挽回しているようにも見える。
しかし一方で、『Gショック』ファン、すなわち『Gショック』を愛好する人々の層は依然として根強いものがある。『Gショック』をテーマにした雑誌のムック版がいくつも発行されているのも、『Gショック』のファンが多いことを示している。またカシオからは、テーマをもった、数量限定のタイアップ・アイテムが、『Gショック』ブランドとしていくつも発売されている。そうした限定版は、希少性もあって、ファンの間では高値で売り買いされていると言われる。90年代に確立した『Gショック』ブランドは、現在でも消費者に広く浸透しているのである。
こうした市場性を見ると、今後新たにブームが再来することも考えられる。ウオッチにこだわりをもった人々の間で、耐衝撃性をもったタフな時計として改めてその機能が見直されることも、近未来的にはあるかもしれない。カシオウオッチの代名詞にさえなっているのが『Gショック』であり、その流行の再現も大いに考えられるのである。

13.カシオのウオッチ戦略
電卓と時計を二本柱にしたカシオの扱い商品は、80年代に電子楽器を加え、商品多角化を進めてきた。近年は、電子辞書やデジタルカメラ市場などにも参入している。こうした商品多角化は、カシオが当初からもっていた、エレクトロニクス技術の分野の商品で、かつコンシューマ商品であることが条件となっている。この点については、デジタルウオッチに参入した当初の経営方針から一貫したものとなっている。
カシオの2002年度(3月末日)連結決算内容を概観してみよう。売上高382,154百万円(前期比13.9%減)、営業利益▲10,418百万円、経常利益▲17.824百万円、当期利益▲24,928百万円となっている。他の多くの大企業がそうであったように、デフレ不況という厳しい経営環境の中で、創立以来で最も悪い決算内容となっている。社員数の削減など、リストラ策が採られたとも言われている。しかし、カシオの上場企業としての立ち直りは素早く、2003年度は黒字に転換することが見込まれている。2001年度も黒字を確保しており、赤字となったのは2002年度だけになる見通しだ。
2002年度における時計の売上高は、62,536百万円であった。そして全体の売上高に占める時計部門の構成比率は、16.4%であった。前年度が15.4%であったことを考えると、構成比率はむしろ高まっている。他の扱い商品が低迷する状況の中で、全社的な見地からは、時計の寄与度は高まっているのである。カシオにとって時計という扱い商品が、大きな柱になっていることをうかがわせている。
日本の時計市場は成熟化し、セイコーやシチズンがやや低迷する中で、カシオの時計部門は、むしろ健闘していると見ることができる。その地位を確実に築き上げたのが、『Gショック』の市場での席巻、ヒット商品化なのであった。『Gショック』の拡販によって、カシオが企業としてのヒット商品創造のノウハウを獲得したとも見られる。カシオの時計部門は、今後も社内の大きな柱として、また時計市場を拡大させる製品として、その市場での力量が期待されている。

課題

1. カシオがデジタルウオッチで時計分野に参入した理由は何だと考えられますか。
2. 1983年発売以来、80年代の日本市場において、『Gショック』が売れなかった原因、失敗の原因は何だと考えられますか。
3. 日本市場で『Gショック』が流行した90年代に、あなたがカシオウオッチのマーケターだったと仮定して、当時、どのようなマーケティング戦略を打ち出すべきだと考えますか。具体的に考えてみて下さい。
4. 2008年現在のカシオウオッチをSWOT(強み、弱み、機会、脅威)分析をして下さい。そして、今後のマーケティング戦略はどうあるべきだと考えられますか。
5. あなたがカシオウオッチの商品企画に関わっているとして、今後どのような新製品・新ブランドを企画したいですか。

 

価格設定の秘匿性と企業のディスクロージャー

2004年8月19日


 何をいくらで買うか、または売るか、すなわち商品(製品やサービスを含むあらゆる商品)とその価格というのは、商取引における最も基本的な課題である。商品の価格がどのように決められているか、または決められるべきかという課題は、ミクロ経済学やマーケティング理論の中でほとんど余すところなく議論されているように思われる。むしろ、議論の果てが見えてきてしまい、そうしたテーマは行く手を制限されているようにも見える。そのため、本論考は、そういう価格設定方法をテーマにするものではない。そうではなく、あらゆる企業活動におけるもっとも重要な経営的意思決定である価格設定において、最終的には消費者(顧客)を始めとする企業の利害関係者に開示できない事情を企業の存在そのものが抱えている、すなわち「価格設定の秘匿性」をテーマにすることにした。そして、企業内容開示と訳されるディスクロージャーというものが、そのあり方に、企業組織という存在そのものが限界(不可能性)をもっているということも論じてみたい。さらには、最近問題になっている企業の法令順守(コンプライアンス)について、その困難性についても論及したい。

商売における「価格設定の秘匿性」
 商品の価格設定の方法は、一般的なマーケティングのテキストによると次のように示されている。@コスト志向の価格設定、A需要志向の価格設定、B競争志向の価格設定、の三つの方法があると言われる。@コスト志向の価格設定、とは、コストすなわち原価(一般的な商店ならば仕入れ原価だし、製造業ならばその製品を作り出すための部品などすべての原価、人件費比率の大きなサービス業ならば人件費を含めた原価)に何%の粗利益を上乗せして価格を設定するかという価格設定方法である。A需要志向の価格設定、とは、消費者(顧客)の需要(商品に対する引きの強さ)が大きければ価格を高くし、逆に小さければ価格を低く設定するといった方法である。需要と供給の関係を勘案した価格設定方法とも言える。B競争志向の価格設定、とは、競合他社の競争関係にある商品の価格を念頭において、それよりも低く(または追随して、またあるときには高く)設定するなどの価格設定方法である。現実問題として、価格設定をする場合、どれか一つの設定方法を採用することは少なく、これらの三つの要素を全て考慮しながら、相対的にある価格が設定されるものと見られる。
 前文でも述べたように、本論はこうした価格設定の方法、より多くの利益を生むことのできる効果的な価格設定の方法を論じるものではない。それはミクロ経済学やマーケティング理論の進展に任せようと思う。本論で述べたいのは、どのような価格設定が行われようとも、あるいはいくつかの要素を勘案して価格設定するにしても、その価格設定のための要素内容は、完全には決して開示されることはないという「価格設定の秘匿性」についてである。

消費者(顧客)と商売人との二つの顔をもつ現代人
 私たちは、消費者(顧客)である一方で何らかの仕事(労働)をして、すなわち商売をして生活の糧としている。もちろん資産をたくさんもっている人は、理論的には仕事(労働)をしなくても生活できるのであるが、そうした資産もまた、いつの時点かにおける仕事(労働)によって蓄積されたものだと考えて差し支えない。また現代では、この仕事(労働)には、資産運用といった金融行為も含めて差し支えないと考えられる。
 私たちが商売をする場合、扱う商品にいくらの価格設定をするかというのは、商売の最も基本的で、かつ重要な経営的意思決定である。その場合、粗利益などの利益を上乗せしないで、商売をするということはあり得ない。利益を出せると判断するからこそ、ある価格設定をして商品を売るのである。時には目玉商品として原価を下回った価格設定を一部の商品に設定することがあっても、それは他の商品の利益をより多く獲得するための便法である。よくディスカウンターなどで、「原価を切った価格の商品」などと宣伝されることがあるが、こうした商品価格表示は景表法違反であると同時に、厳密な意味であり得ないのである。商売とは、原則的に売り上げることによって利益を生むための行為である。
 よく私たちは、一方の消費者(顧客)として、「安ければ安いほど良い」と考えがちだが、これはその一方で仕事(労働)をする、すなわち商売をしているということを忘れた物言いである。そうした考え方は、消費者(顧客)の倫理的な姿勢として採用すべきではない。利益を生まない商売をする人はいないのである。だとすれば、消費者(顧客)としては、商品を購買するという決断をすることが大切なのである。あまり論述的な言い方ではないが、私たちは、消費者(顧客)として、商品を購買するに当たって、どの時点かで太っ腹な決断をしなければならない。
そうした消費者(顧客)としての倫理性は、高度消費社会で生活する私たちに避けて通れないものである。またそれは、私たちが消費者(顧客)である一方で、仕事(労働)する商売人であること、消費者(顧客)であることと商売人であることの、二面性をもっていることを見据えれば、当然のことと了解できる。私は「生活者」という概念を、仕事(労働)をする商売人と消費者(顧客)とを止揚したものと捉えているが、その生活者として了解されるべきことなのである。

「価格設定の秘匿性」とは
 ところで、よく言われることだが、商品を売る側(商売人)と商品を買う側(消費者あるいは顧客)との間には、商品についての情報が非対称的である。どういうことかと言うと、売る側(商売人)においては商品についての情報を、買う側の消費者(顧客)よりも一般的にはより多くもっている。それに対して、消費者(顧客)のほうは一般的にはより少ない情報しかもっていないのである。商品の情報について、商売人と消費者(顧客)とは同等にもっていることはなく、非対称的だと言われるのである。
消費者(顧客)保護ということが現代社会で叫ばれているが、これは情報の非対称性によって、消費者(顧客)は弱い立場に置かれることが多いので、そのギャップを埋めようとするものである。法律や公的施策によって、弱い立場の消費者(顧客)を保護する必要が生じるのである。
 もちろん、商売人のもっている情報が消費者(顧客)にオープンに伝えられる部分もある。セールストークとか販促物の中で説明される商品品質についての情報なども、そうした開示されることの多い情報であろう。しかし例えば、商品についてのネガティブな情報というものは、通常は消費者(顧客)には伝えられないのである。つまり、商売人のほうは知っているネガティブな情報は、消費者(顧客)には伝えられないという非対称性が生まれるのである。
 そういう伝えられない情報(秘匿性をもった情報)の最たるものが、価格設定のその要素内容ではないかと考えられるのである。商売人が、@コスト志向の価格設定、A需要志向の価格設定、B競争志向の価格設定、のどれを採用しようが、またそれらを総合的に勘案して価格設定しようが、その価格設定の根拠になった要素内容は消費者(顧客)に伝えられないのである。すなわち利益の源泉というものは開示されることはまずないのである。私は、このことを「価格設定の秘匿性」と名付けたいと思う。
 この「価格設定の秘匿性」は、私たち生活者が、消費者(顧客)として身近な商店で買い物をする光景を想像すればすぐに分かる。すなわち、コンビニエンスストアであろうが、小さな専門店であろうが、ある商品の価格設定がこれこれこういう要素内容で決まっており、利益はこれこれこういうようにこれだけ含んでおります、などと説明する商店はないのである。商売人としては、消費者(顧客)に対してより狡猾に、うまく利益を多く出せる価格設定をして、リーゾナブルと思わせて商品を販売しようとするのである。そして、いかにリーゾナブルと思わせられるか、ということを理論的に追求したのが、マーケティング理論であり、その中の価格設定理論なのである。
つまり、販売時点において価格の要素内容というものがすべて開示されることがないこと、すなわち「価格設定の秘匿性」という性質が、商売の基底に厳然と横たわっているのである。

大企業のディスクロージャー
 小規模な商店における「価格設定の秘匿性」については理解しやすいが、大企業ではどのような事情を抱えているのだろうか。日本においては東証一部に上場されているような大企業は、中小企業と比較してどのように違っているのだろうか。
 現代に生活する私たちは、企業内容開示すなわち企業のディスクロージャーが大企業に要請されることを知っている。例えば株式の投資家には、IR(インベストリー・リレーションズ)という形で、企業経営の様々な情報が開示されなくてはいけないとされる。投資家に対するディスクロージャーばかりでなく、従業員、地域など、企業を取り巻く利害関係者(ステークホルダー)に対して、できるだけオープンに開示されなくてはいけないとされている。
例えば、上場企業には、財務諸表として貸借対照表(バランスシート)、損益計算書(プロフィット・アンド・ロス)、キャッシュフロー計算書、利益処分、などが開示されることが義務付けられている。さらには、大株主の氏名、従業員数、経営計画、経営方針などが開示される必要がある。そして大企業におけるディスクロージャーは、進展することはあっても後退することはないように言われている。事実、進展している大企業のほうが、より現代的な企業として評価される傾向にあると言える。
 しかし、大企業におけるディスクロージャーは時代の進展とともに完全な形まで、すなわち最終的に秘匿することのない形まで進展するのであろうか。そうした問いに対する私の解答は「否」というものである。そしてその根拠として、大企業においても、「価格設定の秘匿性」を強くもっていることをあげたいと思う。企業のディスクロージャーというものの不可能性、限界を垣間見せていると考えられるのである。

大企業の「商品価格設定における秘匿性」
 前述の上場企業にディスクローズが義務付けられている財務諸表は、言ってみれば、財務内容を集計・総合したものである。それによって、その企業の財務内容が健全かどうかを利害関係者に判断させるものである。それではそれらの財務諸表によって、その大企業が扱う商品の価格設定における要素内容は開示されているのだろうか。
例えば損益計算書によって、売上高、売上総利益、営業利益などが公表されることになるが、それらは複数あるその企業の商品をあくまでも集計・総合したものである。抽象化された数字(金額)である。そこには、複数ある商品のそれぞれの、売上高とか各種の利益は開示されていないのである。一部の上場企業では、部門別の売上高や利益が決算短針に記載され、開示されているが、それでも商品別の売上高や利益ではあり得ない。
 ちなみに、貸借対照表についても、あくまでも集計・総合した期末の債権、負債、自己資本の、ある規則に則った勘定別の数字(金額)であって、その細部の要素内容は開示されることはない。それを見る利害関係者には不明な部分が大いにあるのである。オフ・バランスと言って、例えばデリバティブ取引などは記載される必要はないし、実際のところどのような資産運用を行っているか、全部が余すところなく開示されることはあり得ない。
また、これらの企業の財務諸表は、学校に例えれば通信簿であり、大体は結果的な数字しか通知されないのである。ちなみに、学生が通信簿を自ら他者に公表することはあまりないと考えられるが、大企業もまた、企業の通信簿とも言える財務諸表が開示されることはあっても、その要素内容も含めて全てを自ら開示することはない。
 このように企業の経営内容の健全性や成長性を示すために財務内容のディスクロージャーが実行されている。そういう現代においても、企業財務の細部については常に秘匿性を保持しているのである。その基底にあって秘匿されているのが、それぞれ一つひとつの商品の価格設定の要素内容についての情報なのである。大企業においても、「価格設定の秘匿性」は厳然と確保されていると言える。
 いやむしろ、中小企業との比較で言えば、商品種類の数が多い大企業のほうが、それぞれ一つひとつの商品における「価格設定の秘匿性」を強くもっているケースも多いと考えられる。なぜならば、大企業のほうが商品数は多いということは、結果として開示される数字(金額)の抽象性は高いのである。
例えば中小企業でも、小売業の零細店で販売される商品を想像してもらいたい。そこでは、消費者(顧客)はその商品の原価をより予想しやすいのである。それに対して、大型店の商品は商品の種類が多く、抽象性が大きい分だけ、消費者(顧客)には、個別の商品の価格の要素内容は分かりにくいのである。そういう消費者(顧客)としての実感から言っても、大企業は一種のスケールメリットをそこでも保持していると考えられる。大企業が中小企業と比べ、すべてのケースで「価格設定の秘匿性」を保持しているとは断言できない。しかし大企業のほうがその性質を強くもっているケースも多くあると見られる。  
高度成長経済下の日本において、大企業がそのスケールメリットを活かして、一種の高価格政策で利益を多く出していたことから言っても、そのことは了解できる。バブル経済崩壊後のデフレの時代においては、その利益率は下がっていると見られるが、大企業のスケールメリットによる「価格設定の秘匿性」は保持され、相対的により大きな利益を生み出している。

企業の法令順守(コンプライアンス)と「価格設定の秘匿性」
2002年6月、造船準大手の佐世保重工業は、国の助成金の不正受給によって経営者が逮捕されるという事件を起こした。また同年10月、日本ハムは、牛肉偽装事件で詐欺容疑による逮捕者を出している。こうした企業の不正事件はそれ以前も以後も頻発している。その都度、企業の法令順守(コンプライアンス)が叫ばれ、企業経営者を始めとする組織人の倫理的な自覚が叫ばれている。そして経営者団体においては、企業倫理綱領などが作られ、その徹底が要請されている。
もちろん企業倫理の徹底によって、この種の不正事件にある程度は歯止めがかかることはあるだろう。法令順守(コンプライアンス)が倫理的に叫ばれる所以である。しかし私は、企業という組織は、こうした事件を起こしがちな性質をもっており、それを遡れば究極的には、「価格設定の秘匿性」にたどり着くのではないかと考えている。根本的にはそこに起因していると思うのである。   
「価格設定に秘匿性」があるということは、別の言い方をすれば、企業の利害関係者に、企業の利益の源泉が開示されないということである。そこがブラックボックスとなっているということである。企業は利益を生み出すことを目的にしている。その目的の本質が秘匿されているということは、違法で反倫理的な行為に手を染めやすいということである。頻発する前述の企業事件も、利益の源泉が隠されていることに起因しており、利益のためには手段を選ばないという傾向を生み出しがちなのである。その基底に「価格設定の秘匿性」があることが類推できる。企業の倫理性の厳守が強調されることは必要だが、一方で企業組織自体が、不正に陥りやすい性質をもっていることを忘れてはならない。
一方、総会屋に対する法的規制が強化されているが、この種の事件もなくなる様子は一向に見られない。例えば、2004年3月の西武鉄道の総会屋利益供与事件が起こり、最近、その有罪判決が下されたりしている。ここでも法令順守(コンプライアンス)の必要性が強調されている。
こうした総会屋事件が繰り返されるということは、前述の佐世保重工業や日本ハムとは逆の意味合いで、企業の陥りやすい組織性質が示されていると考えられる。すなわち企業という組織は、「価格設定の秘匿性」をもっており、そこから発して、企業内容開示(ディスクロージャー)を嫌う傾向をその組織自体がもっているということである。そういう意味では企業組織は利害関係者に対して基本的に閉じられた組織なのである。だからこそ、総会屋に利益を供与して経営内容を秘匿しようとしがちなのである。倫理性が求められるのは当然だが、そればかりではこの種の事件はなくならない。そういう企業自体がもつ陥りやすい傾向というものを自覚することが必要なのである。その基底に横たわるのが「価格設定の秘匿性」なのである。
このように「価格設定の秘匿性」を考えることによって、企業のディスクロージャーの限界(不可能性)が見えたり、いくつかの企業事件の本質が見えたりするのである。このことは、現代の資本主義社会に生活する私たちの精神構造をかなりの部分で規定しているようにも思われるのである。「価格設定の秘匿性」は、現代社会の特徴を指し示す重要な性質になっていると思われる。(了)

 

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